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WEB日記。永久自分語り

そもそもWEB日記に他人のことなど書いてはいけません。
「アメリカのオモシロ州のオモシロさんが面白い具合に身体のおもしろい部分をチョッキンされて非常におもしろい。」そういうことは面白ブログにすべて任せておけばよいのです。あなたのWEB日記では自分自身のことを語りましょう。他人の事を書くフリをして自分の話に持っていきましょう。鑑賞したDVDの感想を、書評を書くフリをして自分の話に持っていきましょう。
何故日記を書いてWEBで公開するのか。それは書くという行為と其れによって作られたテクストに意味があるからです。
「どんな意味があるのか?」それは知りません。はてなダイアリーtDiaryのヘルプを読んでみても載っていません。ということはサポート外です。WEB日記構成ツール自体はそこまで万能ではないようです。では、各々意味づけをしてみましょう。俗に言う日記語りというやつです。
焚書官さんはWEB日記について「日記の自分と日記を書いてる自分は別の生を生きていて、共振している(id:mutronix:20050331:real)」と書かれました。日記と第一の読者である自分。日記を書く自分と、作られたテクスト群が作り出す自分。過去ログの閲覧は「日記人格」との対話です。――この記事を読んだ当時、日記へ仮構ばかりを書き続ける私にはいまいちこの感覚はピンと来ませんでした。
しかし――わたしは日記を書き始めた当時、特にテーマもなく、懐かしTVネタや、思い出話的なネタを続けていました。特に書きたいことは決めずに思うがままに書いていきました。ですが、過去ログを読み返してみると命名「ネーミング」に関する話題がやけに多いのです。そこでわたしは自分の知らなかった自分の好み、嗜好を日記を書くことによって知りました。
また、仮構を記したところで、それは全てわたしから出てきたものに違いはありません。仮構を作り出した<わたし>はそこへ記録されます。それに、行ったことのない土地のことは書けても、「殺人は悪だ」というような所を「殺人は善だ」とはとても書くことは出来ません。

日記としての体制を保つ為には更新が必要です。しかしわたしは「毎日更新」などの制約の類は一切設けずに書きたいように書いてきました。制約を設けないことを制約としました。書きたい時に書き、追記したい時に追記し、削除したい時に削除しました。また、WEBは面識のない第三者に見られるという可能性を常に持ち合わせているので自己表現の場としても機能します。モテたいヤリたい、差を付けたい見下したい、同化したい。狂ったように見られたい時は必死で狂ったように、不安定だと思われたい時は思いっきり不安定に。含みがありそうだが底が浅いと思われたい時は――そのまま書くだけです。

わたしか好きなWEB日記のスタイルに、テンションの低い、めんどくさそうな、だるそうな人の日記があります(だる日記id:laiso:20050330:daru)。だる日記は難しいです。更新が途切れない程度のやる気を出しつつ、やる気のなさを演出しなければなりません。外部への関心が積極的にならないほどの関心を示さなくてはいけません。アクセス数を気にしない<わたし>を、何度も重ねてフォローしなければいけません。骨が折れます。

と、ここまで書いて読み返してみました。
訳が分かりません。
とすると、わたしは訳が分からないことを訳が分からないままに書き出して、訳の分からない人と思われたいようです。

追記

あ、あぶねェ