Amazonカスタマーレビューでの「自分語り」のウザさの要因は「飛距離」によるもの

これを読んで、俺もこの前「Amazonカスタマーレビュー内で自分語りをはじめるひとはなんとかならないんだろうか」(id:laiso:20050303#fiveminutes)と書いたのを思い出した。最初は「自分語り≒自己主張のようなもの」と考えていて、頼んでもいないのに前へ前へ出てくる様がうっとおしくて嫌なのか、とか思ってたけど、この話は結局のところ「【まる見え】って書いてあるのに【モ有】じゃねーかよ!(怒)」と同じ類の「裏切られた感」なんじゃないかと思う。閲覧者が期待するモノ(情報・話題)との差異が大きければ大きいほど肩すかしを食らうわけで。(期待しているモノも各閲覧者によって微妙に違ってくるんだろうけど)
しかし、わざとやっている人手もない限り、カスタマーレビューで自分語りをはじめる人も、なにも最初から自分語りをはじめようとしたわけではなく、その作品について思うことから順を追って思考を展開していっただけなのであって。それをレビューに起こす段階で、順を追っていった部分をごっそり削って自分語りからはじめるので「飛距離出過ぎだろ!」とうざく感じてしまう(文字数を減らそうとすると、まぁそうなることは分かるんだけど)。
分かりやすい喩えかどうかはしらんけど、「マジカルバナナ」でいうと「バナナといったら黄色>黄色といったらレモン>レモンといったら酸っぱい>酸っぱいといったら梅干し」などと続けないといけないところを、初っぱなから「バナナといったら梅干し」と答えてしまうと、風見しんご板東英二に「あかんがな」と言われてしまうのだ。
それに、Amazonの商品ページという金が動くであろう場所でのレビューについては、「このレビューは参考になりましたか?」という投票システムが示すとおり、その人の感想を見たいだけではなくて、参考にしたいという思いが強いのかもしれない。そう考えると、閲覧者のニーズにあった「縛り」の文章を求められるカスタマーレビュアー(やカスレビューアー)さん達は大変だな、と思う。

ウェブでの自分語りの是非については

そう、上の記事はブログでの自分語りについて。これは、俺の日記が自分語りで埋め尽くされているように、じゃんじゃんやっていけばいいと思う。自分が書いている以上、自分は出てくる。自分語りから面白いモノが出てくることもよくあるし。ただし、人様の敷地内でやらないように注意したいモノ(自戒)

そして

K2Daさんが関連しそうな日記を書いているので、この話は続きます(たぶん)

*1:加野瀬さんボやいてるからトラックバック送っってみました