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ウェブサイトの記事志向化

雑感

例えば、孫ニュースサイトから「面白そうなエントリー」を参照した時に、多くの場合私たちは著者の名前をチェックしたり、インデックスから他の記事を読んだりすることはなく、関連する他サイトの記事やトラックバック元、あるいは次のニュース記事へと手を伸ばす。
そうした最近の「ウェブログブーム」の中において私が感じたことは、関心を向けるものがサイト全体から記事単体へと変わっていく……というものだった。サイト全体への関心を集めるには、そうした「面白そうなエントリー」を何個も築き上げ、いわゆる「大手」にならなければいけない。
どうして、サイト全体から記事単体へと変わっていったのか、については。いくつか、思いついた理由がある。それは、単純に書き手、サイト運営者が増えたためである。サイトの数は増えたが、私たちのウェブ巡回にかけられる時間は変わっていない。多くの「サイト」の多くの記事をチェックするより、自分が興味あるものだけを選んでチェックした方が効率が良い。またそれに伴う手段としての、孫ニュースサイト(フィルタリング)、RSS配信、トラックバックでの記事同士の繋がり、または多彩な検索方法、によって目的の話題の記事を探し出すのは容易になった。

「【サイト名】さん」という呼び方については「ブログの人格化」と言うより……


実際にヌーベルブログを運営していく中で、新野氏はある面白い特徴に気づいたという。「一般ユーザーのブログでヌーベルブログが話題になるとき、『ヌーベルブログさん』と、さん付けで紹介されることが多い」という点だ。

 新野氏はこれを「ブログは運営者がハッキリとしている。よって、ブログ自体に人格があるような、独特の感じ方がネット文化として根付いているのでは」と分析。企業という法人のサイトであるにもかかわらず、内容が面白ければ一般ブロガーからも好感やシンパシーを得やすい……というのが新野氏の考えだ。

ブログは運営者がハッキリとしている」とは感じたことがなかった。確かに、「大手」と呼ばれるサイトについては、言及先で名前がよくあがったりすることがある為覚えやすいが、他の(小・中規模)サイトにいたっては先に言ったようにアバウト(プロフィール)ページがあったとて、あまり見る気にはならない。だから、「【サイト名】さん」などと呼ばれる傾向については、単純に記事しか読んでない人が多い為、著者名よりサイト名の方が認知度が上になっているからだと思っていた。ようは「【サイト名】の【著者名】さん」の略称に近い。

「ブログ名+さん」という呼称については、私が認識している範囲では木村剛氏が最初に始め、広まったものです。最初は著者名=ブログ名の「小鳥」さんを呼んだところから。
小林さんの、先の記事についてのツッコミ所は大体私と同じだと思うんですが、「【サイト名】さん」の呼称は、特に木村剛さんが始めたものという認識はなかったです。その、一年前ぐらいに加野瀬さんも書いてますし。どこから広まったとかは私も分からないのですが、前述のウェブサイトが記事志向へ移り変わっていく過程で自然と広まってきたのかな、と思っています。

「リンク集」の役割

私は、ウェブサイト(ブログ)とその中の記事の関係を「作者」と「作品」のようなものだと考えています。蓄積されたログが人格・印象を作り出しているとは思いますが、そこから抜き取ったひとつの記事は、途端に著者との距離を作る印象があります。記事志向になったウェブサイト界の中で「作品」に対する評価、意見は目立つようになってきましたが、一方「作者」については尊重されなくなり、なんだか一抹の寂しさを感じたりしています。思えば、個人サイトにおける古き良き伝統としてあった「リンク集」や「相互リンク」といったものは、そんな現状を補うものとして機能できるように思えます。過去ログの中に埋もれることもなく、インデックスから参照でき、「作者」としての評価を尊重した紹介文。いつだか、「日記ちょう」のしばさんが言っていた「今ネットに足りないのはリンク集だ。」という言葉はそのようなものとして受け取っていました。