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古泉迦十『火蛾』


十二世紀の中東。聖者たちの伝記録編纂を志す作家・ファリードは、取材のため、アリーと名乗る男を訪ねる。男が語ったのは、姿を顕わさぬ導師と四人の修行者たちだけが住まう山の、閉ざされた穹廬の中で起きた殺人だった。未だかつて誰も目にしたことのない鮮麗な本格世界を展開する。第十七回メフィスト賞受賞作。

なんとかハーニー様が見てる

思ってたより、イスラームしてた。珍しい舞台設定の本格ミステリぐらいにしか思ってなかったけど。バリバリに宗教色ついてる。「スーフィズムとミステリの融合」らしい。いやわからん。わからんというか、筋としては理解できたんだけど、特に知りたくものない知識がどばどば入ってきて戸惑った。改宗させる気か。実際、評価高い作品だし、多すぎない枚数でよく纏まってると思ったけど、これを面白いという感覚はどこか煙に巻かれたような思いがつきまとう。たぶん、俺の知ってる世界とは全然別の、斜め上方向から攻めてきたからだと思うんだけど。だって、イスラームの知識なんか鼻糞ほじりながらうけてた中学の社会科授業止まりだし、俺の知ってるインド人なんか、「ヨガー」っていって口から火を噴く奴だけだもの。離れすぎ。ふと、これ、本場の修行僧の人に見せたらどういう反応するのかな、と妄想を巡らせる。もちろん本格ミステリ好きの修行僧に……「プロットが破綻している!」「シンパシーを感じない!」「伏線の回収がお粗末!」「ヨゴゥ」お、これじゃ日本人と同じだがや。しかも言いたいだけ系の人の寸評の上に、やっぱり火吹く人出てくるし。異国文化を理解するのは難しいな。
軌道修正与太話過ぎた、本作で出てくる精神世界での導師ハラカーニーとの問答の内容にはいろいろ考えさせられるものがありました。特に「言葉を識るがゆえに、言葉を得て満ちたりる人の無知よ」とかガツンと来た。俺はどうも「言葉」自体の意味に囚われすぎるきらいがある。そのくせよく誤用を繰り返すんだけど。
【3】

火蛾 (講談社ノベルス)

火蛾 (講談社ノベルス)