こじこじ「『げんしけん』≒『稲中(古谷)』」



『俺には古谷群はむしろ「そんなうまいこと成長なんてできんのよ」にしかみえない。グリヒルでリーダーが「これはもうしょーがない」と悟るのは成長といえば成長だけど、げんしけんの成長とは方向が逆。そのせいで古谷作品は常にどうしようもない暗さがつきまとって見えるたから、だから俺はげんしけんが似てると感じなかったのかと』

それとあの物語の中では誰も成長してませんから。辛うじて、<自分とは相容れない世界>となんとか折り合いをつけようと試行錯誤しているのは斑目くらいなもので、笹原なんて成長そのものを望んでいないし、先人がつくりあげたオタクのブランド・イメージに尻馬的にのっかって、自分の幼い性欲をオタク的ガジェットで装飾して美化して正当化してるだけですから。
古谷作品群、『げんしけん』同時に「成長物語説」をばっさりイかれてしまった。俺は知っての通り熱心な浜カキョ信者であり、犬山信者でもあるので、その筋のこの二人の意見は見逃せない。が、同時に「成長物語と見せかけて、実はどーしよーもねー与太話」という点で繋げてしまおう、と俺のさきっちょはあちゅうが悪巧みをしている。まぁ、俺もかなり浅いので(実は、両作とも単行本すら買ってない)読み返してから、また「こじこじ」したいと思います。熱が続いてたら。そして再度犬山さんに第5巻を買わせます。