大塚英志「江藤淳と少女フェミニズム的戦後―サブカルチャー文学論序章」

江藤淳と少女フェミニズム的戦後―サブカルチャー文学論序章
大塚 英志
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江藤淳の文学は、本人の死後も絶えることなく生命を吹き込まれている。その言説に新たな光を投げる試みも高い水準で続けられており、福田和也の『江藤淳という人』などがその代表格として挙げられる。
故人の肉声に接近した福田の著作と異なり、本書は徹底してテキストのみを読み込むことで批評を展開する。江藤淳サブカルチャー。一見、突拍子もない取り合わせに思えるが、著者は江藤こそサブカルチャーに最も拘泥(こうでい)した文学者だと指摘する。戦後日本の「なんとなくこうなってしまった」という空気、本書はその「なんとなさ」に根ざす文学をサブカルチャー文学と定義するが、これに1人対峙し、厳密な選別を行ってきたのが江藤なのだ。彼は村上龍を徹底的に批判、村上春樹を黙殺した一方で、田中康夫を賞賛する。本書は丹念な読みでその理由を推し量り、彼の基準は正しかったのかどうかにまでメスを入れる。

さらに卓抜なのは、江藤独自のフェミニズムに関する考察だろう。昭和初年、海軍軍人の家柄である江頭家(江藤の生家)に嫁いだ彼の母は、新時代の教養を身につけた女性だった。しかし、婚家が象徴する「古い日本」と、彼女が体現する「近代」とが軋轢(あつれき)を生じるなか、若くして病死する。このため、江藤にとっては「母」を崩壊させないことが生涯のテーマとなり、女性たちに「母」であることを強いない社会や思想を求めるようになったという。江藤の原点に亡き母への思慕があることはしばしば言及されているが、このような論の広がりは今まで見られなかったものだ。

文学と、そして社会を深く見つめた批評家、江藤淳。その文業はいまだ全貌を現していない。本書ははるかな頂上への手がかりとなる貴重な1冊である。(大滝浩太郎)

序章でつまずいた、、、ベンキョ不足でした出直します。1週間かけて読みましたよ。これにめげずいろんなのに挑戦していこう。俺の読書師匠も言ってたが読むことになれることが大事なんですよね、にしても知らない言葉がモリモリ出てくる。